プロとは自らの役割と責任とゴールを認識し、あるべき姿とのギャップがあればそれをうめるためにどうすればよいのか、考える人。そして、そのギャップをいつまでにどううめるかを考える人。という基本を再確認。

ふとラーメンが食べたくなる。都内でも有数の店が近くにあり、そこに新メニューが登場したのだ。魚郎ラーメンなるもの。この店は博多や鹿児島など九州豚骨ラーメンが好きな私には珍しく魚系をメインとしたラーメンを出す店であるものの、昼と夜で屋号が異なり、塩系と醤油系両方を使い分ける器用な店なのだ。かつ、昼のチャーシューは七輪で一度焼いたものを使っていてこれまたとろけそうなのだ。

魚郎ラーメンは太麺でこしがあって、またチャーシューやもやし、にんにくがきいていて食べ応えのあるものだった。あそこの定番ラーメンは細麺であり、まあ、また混むだろうなあ。

さて、通常夜のラーメン屋といえばカップル、家族、男性グループ、男性一人、男女若者グループなどがメインであろうが、夜の同じラーメン屋で私以外に2名、キャリア系女性が一人でラーメンを食べている。ラーメンを一人食べる女性=デートもなく一人帰る月曜日、とにかく早くおいしいものを食べて家路につく。。という心情かな。でも、女が一人でラーメン屋に入るラーメン屋は絶対おいしいと思うよ。

その昔、朝の番組をやっていて、年金についてとりあげたところ、当時の厚生省で年金課長をやっていたその方が番組に直接電話をくださって、結果、番組に出演していただいて年金について語っていただいたことがあった。その後、その方と、番組のレギュラーの残間さんと一緒に朝食で焼き魚を食べたのを何故か鮮明に覚えている。
その後も、海外に赴任する私に、アドバイスをくださったりしたが、その後、お会いしていない。残間さんの話では、まだ覚えていてくださっているそうだ。
その方は今や都政の今後の渦中の人になっている。個人的にはぜひ引き受けていただきたいなあ。

それにしてもお役人から、知事、教授、そして。。。人の人生ってわからない。
わかるのは当時から、大きな志と、細かいロジックの積み重ねであるところの緻密さを持っていらしたことかな。

最近、思うのは、とにかく、人に喜んでいただけるのが自分にとっての人生の豊かさだと。そうはいいつつ、なかなか、全ての人に対して豊かさを提供できない。
大体が、自分の身内ですらどうなんだろう。日々精進のこと。人生の中で潤いを持って生きていけるといい。
そういえばここのところ、ネイルクイックにも行けてなかった。今日は久々に手も足もケアしてきます。ささやかな楽しみ。




空気を読むとは良く言うが、気とか念力とか、何か目には見えないのだが、不思議な力がある。良い気があるところはグリーンも成長する。悪い気はどよんでいて、肌に感じることがある。

もし人に感謝されたら、その人に言いたい。
あなたの感謝を逆に他の5人の人に伝えてあげて。
そう、そうするとその人がまた5人の人に伝えて。。。
暖かい心が広まっていく。
ねずみ講やマルチは問題多いようだけど、感謝の輪はいくつあってもいいよね。
きっといつかそれが自分に巡り来ることもあるかもよ。でも期待しちゃだめだ。
そう。なにが大事だって、何か得るかもしれない期待を持つのではなく、何か得ないかもしれない、でも、って思うこと。。。
辛いことも、きっとそれは自分の成長につながる。反面教師を含めて勉強になるし、神様のお与えになった修行の場だといつも思う。そう考えると、全ての苦難に感謝を言いたくなるかもしれない。ね。

人という字。そう、垂直と平行と交わる。それが支えあって人。

コミュニケーションは相手を理解しようとする思いと同時に何を相手が言いたいのか理解する力がないと曲がったものになってしまう。そう、だから難しいのは、理解ができない人に理解してもらうこと、で、もっと難しいのは、どうして理解できないのか理解できない時。

哲学者ディビッドソンは言っています。「意味していると受け取られたいと思っていることを意味していると受け取られるようにする意図」=がコミュニュケーションだと。そう。

人は幸せをもぎ取ろうとしても幸せにならない。
幸せは与えることで自分が幸せになる。
高邁な精神とモノ社会は矛盾するようだが、余裕がなければ幸せも与えられない。
昨日は会議、新人研修、投資家の方へのプレゼン、日本の大企業の幹部の方々との勉強会と目まぐるしい一日。気付きは、やはりバランスが大事ということ。精神&モノ、ビジョン&現実のアクション、お客様の幸せ&スタッフの幸せ。。。。。バランスはどっちかがどうのこうのではなく、両方成り立つ、WIN WINなのだ。。。

閣議の私語とか、閣僚の首相への態度とか何か問題になっているようだが、一億幼稚園化しているんだろうか。いずれにしろ、場をわきまえないのは問題ですね。

時々、自分がどっかで自分を見ている気になる。特に昨日の夕方みたいに雨上がりのからりとした天気であるとか、お風呂に一人で入っている時とか、ふ〜っと自分は何なのか、何か、生きるってこういうことなのかと感じるような、そういう一瞬がある。そういうときは、10代、20代、30代、40代以降の人生が何かそれぞれ別途の人間の人生みたいに、継続しているより、一つひとつあがってきた気がする。不思議な感覚だ。私って何なんだろうとか。


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